こんにちは、ゆうです。(@mattaritoikiru1)
普通に社会では、死ぬことは悪い事であり、生きることは良いことだとされます。
でも、それは個人がどう思うか?が大事であって、本人が良ければ、死んでも悪いとは思いません。
時間がたてば、すべて死ぬし、なくなります。
生きることに執着しなくていいと僕は思います。
目次
みんながそういうわけじゃない
残念ながら、すべての人に1つのことが当てはまることはありません。
生きることが良いことだと考える人もいれば、良いことではないと考える人もいます。
幸せになりたくてもなれない人もいる。
現代の若者にとって「生きることはなんなのか?」という問題が増えている。
最近ではSNSで死にたいと投稿する人は多くいます。
本当に死にたい、死ぬしかないと思っている人もいれば、構って欲しい、誰かに助けて欲しいという人もいます。
生きなければならないのか?
ここで疑問に思うのは、果たして頑張って生きなければならないのか?ということである。
どんな生き物も生まれたからには、最後には死にます。
これは普遍の原理です。
ここから考えることは、「どうせ死ぬのになぜ生きるのか?」ということです。
僕の考えでは、どうして生きるのか?という理由は自分で納得できるものを探すことが一番だと思っています。
様々な理由があっていいと思います。
しかし、多くの人にとって、確かな答えは出ないと思います。
そう簡単には、見つかるものではありません。
死ぬことは悪い事じゃない、当たり前のこと
自殺や死は悪いこと、だとされています。
しかし、自殺は自分で判断して、自分で行動した結果です。
理由がなんであれ、自分で決断し、自分でやるのです。
僕は、自殺した人は素晴らしいと思います。
尊敬に値します。
「死にたい」を実現したからです。
多くの人は死にたいと思いながら、言いながらも、死にません。
口だけです。
ポジティブな意味で生きることを手放す
頑張って生きなければならない。
立派に生きなければならない。
そういう生きることを強制することは必要ない。
自分のために全力で行動したほうがいいと思います。
生きるじゃなくて、行動です。
生きることも死ぬことも無視して、ひたすらに行動するのです。
死にたいのは暇だから
僕の考えからすると、死にたいと思うのは、暇だからです。
忙しい人でも、暇な時間はあります。
ついつい、暇な時間って余計なことを考えてしまいます。
そのことによって、「何かやる気がしない」→「何もしたくない」→「何か死にたい」→「死にたい」→「死にたい」→「死ぬ」
という、パターンになります。
「具体的になぜ死にたいのか?」
「その原因は何なのか?」
ということを自分で理解しているのかわかっていない人が多いです。
何となくで死にたいということです。
なので、出来るだけグルグルと考える時間をなくすことが必要です。
まとめ
死にたいと思う前に、何かを必死でやったほうがいい。
ぐるぐる同じことを考えるのはやめよう。