ネットをみると最近思う。
みんな何か特別な存在になりたがっているなと。
Twitterで良いことつぶやいて、いいねとかフォロワー増やそうとしてる人めっちゃいるなと。
周りから見て自分が魅力的で素晴らしい存在で、人気者でありたいというものがひしひしと伝わってくる。
素晴らしい存在ではなくても、特別だったり、上の存在を目指しているなと。
なんでそこまでして特別を目指しているのだろうか?
普通ではダメなの?
「普通」に価値はないという今の雰囲気
今はインターネットがあっていろいろなことを知ることができる。
何か分からないことがあれば検索すればいいし、何か面白いものであれば、ネットで見つけることができる。
それと同時に、他人の情報が入ってくる。
他人がどんな生活をしているのかを簡単に知ることができるようになった。
そうすると、「リア充」とか「セレブ」とか華やかな生活の人を知ることになる。
そして、そういう人たちはみんなからもてはやされる。
そう、普通なんて何もない。
価値のないものになっていく。
そうなると「特別な自分」というものを獲得し、アピールするようになる。
誰もが「特別な自分」を求め、差別化を図る。
でも、それで幸せなの?
何か特別な人間になろうとして頑張ることは否定しない。
だけど、それで人生を消耗している人がいる。
普通じゃない特別な自分を周りに見せることに固執して、本当の自分ではない誰かを演じている。
それって幸せなの?
素直に生きた方がいい
僕は特別な自分を求めたくない。
だって疲れるし、楽しくないし、幸せではないから。
何か特別な存在になる必要もない。
見栄を張る生き方は疲れる。
無理して特別な存在になる必要なんてない。
ほとんど二番煎じ
ほとんどのことは先に誰かがやっているし、経験していること。
自分しかやっていない特別なことなんてそうそうない。
誰もやってない何かなんてないのとほぼ等しい。
目指すべきものは幸せ
目指すものは「特別な自分」ではなく「幸せな自分」だと僕は考えている。
自分が本当に望んでいるのは「特別な自分」なのか?
自分が本当に望んでいるのは「幸せな自分」ではないのか?
人間が生きるうえで一番大切なのは「幸せ」だと思う。
生きている人はみんな「幸せ」を求めて生きている。
人生の基準は幸せになれるかどうかだと考えている。
特別な自分になれば幸せになれるかもしれないけど、特別な自分を維持するために消耗してしまうことだってある。
消耗していては意味がない。
本当に特別な存在でありたいのだろか?
幸せになるのに特別である必要はない。
幸せは何気ない日常にある。
何か特別な日でも何でもない日々に幸せがある。
逆に言えば、日常に幸せを感じることができないのならば、幸せになることはできない。
幸せはすぐそこにあるのだから。