承認欲求、それは他者から認められたいという欲求のことである。
この欲求は人間なら誰しもが有するものであるが、果たしてどういうものなのか?
承認欲求とは「君はすごいね!」と思われたいとか、「この人幸せそうだな」って他人からうらやましいと思われるなどのものである。
この承認欲求はやる気やモチベーションを維持、向上させるのに必要とされているものなのである。
僕はこの承認欲求は別になくても良いと思っている。
承認欲求は他者に依存している
だって、誰かに褒めてもらいたいとか評価されたいというのは他人の基準であるからだ。
誰かに認めてもらいたいから頑張るなんて、他人のためにやっているようなものである。
わざわざ他人の評価のために頑張ることは馬鹿らしいと思ってしまうんだ。
できることなら、ありのままの自分を評価してもらうことが一番だ。
だが、ありのままの自分を評価してくれる人なんてごくわずかである。
そう、ありのままの自分では評価してくれない、認めてくれないから、褒めてくれないから、そうやって人は目に見える評価を目指して頑張るのである。
誰も、評価してくれない、認めてくれない、褒めてくれない、それは人間にとってつらいことなのである。
とてもとてもつらくて、寂しくて、耐えられないものなのである。
たぶんね。
すごいと言われたい、素敵と言われたい、もっと褒められたい、価値のある人と思われたい、そうやって人は頑張ったり、努力するのである。
誰からも評価されない、褒めてもらえない、認めてくれない、それは自分に価値がない、自分はダメな人間なんだ、生きていても仕方ない、こんな風に劣等感にさいなまれるであろう。
「どうしてみんな僕を評価してくれないんだ!」
「もっと言ってよ!すごい!って、もっともっと僕を褒めてよ!!!」
「どうして誰も認めてくれないんだ!僕はこんなにも頑張っているのに!」
「もっと頑張らなくちゃ、もっと頑張らないと…」
頑張っても人から評価されない、それは一番つらいことだ。
頑張っても頑張っても頑張っても誰も僕を認めてくれない、褒めてくれない、
「僕はもうダメなのかもしれない…」
こうなるともうおしまいだ。
見える景色は地獄のようだ。
生きている価値なんてないんだ。
こんな風にたぶんなっている人も少なからずいると僕は思う。
誰にも認められなくて、評価されなくて、褒めてもらえない人がいるはずなんだ。
頑張っても虚しいだけ。
本当に他人から評価されたり、認められたり、褒められることが必要なのか?
ありのままの自分ではダメなのか?
僕はありのままの自分で良いんじゃないかと思う。
「ありのままの自分じゃ誰も認めてくれないよ?それでもいいの?」
「ああ、それで良いんだ、誰からも認められなくて良い。」
「自分で自分を認めれば良いんだから。」
良いんだよ。それで。
ありのままの自分で。
ありのままの自分を褒めてあげればそれで良いじゃないか。
そうすれば、誰の目も気にしなくて良いし、自由に生きることができるから。
今日から君は自由なんだ。
誰からも縛られない自由を手に入れたんだ。
だから、もう気にしなくて良いんだ。
他者の評価を気にしていては一流になれない
あとは、他者の評価を優先しているから一流にはなれない。
一流の人って、他人の評価を気にせずに、コツコツとやっている。
他人に褒められたいからやるって、モチベーションが不安定になるんだよね。
だから、承認欲求なんて無視して自分なりにコツコツやる。
褒められたいから頑張るって続かない。
まとめ
承認欲求なんて手放そう。
自分自身を自分で認めることが始まりの一歩になる。